青森県立美術館/青木淳。

目につつくところに既製品が全くない。
既製品を使わずに造作したり、通常であれば見えてくる様々な納まりの要素をできるだけ見えないように納める、というのは、比較的多くの場合に於いて検討される項目だろう。一方でそれらの納まりの手法はかなり慣習化していて、既製品を使ったり納まりの要素を露呈させたりするのと同じくらい思考停止状態の判断だとも言えなくはない。
青森県立美術館は、「意味の行き来」という青木さんの言葉一発で、ディティール操作を全て正当化しているように思う。建物全体を遠くから眺める視点から、ドアを開ける時の指先の感覚まで、全ての体験において「意味の行き来」を体感できる、そんな建物だった。
目に留まるものの意味が数秒単位で変化していく、それはまるでおとぎの国を彷徨い歩いているような感覚であり、こういう体験が建築で実現できるのか、というのはとても驚きの体験だった。
ただ、やっぱり「手摺」とか「階段」とかはいかんともし難い要素であった模様。
残念ながら、「階段」や「手摺」などに於いては青木さんも敗北してしまったようだ。
ちなみに、この日の企画展は「吉村作治の新発見!エジプト展」なるもの。県立美術館ならではのプログラム。
正直、展示室との相性はあまり良いとは言えなかったけれど、さすがにこの手の展覧会は集客能力があるようで、超満員だった。
国際芸術センター青森/安藤忠雄

ちなみに、とても有能なキュレーターの服部くんがこの秋からここに赴任した。様々な制約はあると思うけれど、がんばって盛り上げてほしいと強く思う。
十和田市現代美術館/西沢立衛

西沢さんのコンセプトに偽りはなく、とても街に開かれた建物だった。しかし、なんで日本の美術館は撮影禁止なんだろうか。これでは、せっかく建物が街に対して開いていても台無し。美術館という箱の中で額縁に入っていて、ばっちり照明があたった作品をありがたく鑑賞するなんてのはごく限られた芸術への接し方でしかない。
芸術にはもっと可能性があるということを建物が実現しようとしているのに、あの運営管理方法は無いのではないか。
ところで、今回の旅で最も興奮したのは青森から十和田に移動する際に八甲田で目にしたブナの林だった。
何度も車を止めて足を踏み入れたいと思ったのだけど、道が狭い上になぜか意外と交通量が多く、ちょうど良い駐車スペースを見つけることができなかった。悔やまれる。ぜひまた訪れなければならない。