20100507

公園の快適性

GWは、近所にある「林試の森公園」に二度も行ってしまった。「林試の森公園」は、かつて林野庁の「林業試験場」だったところを公園に改造したところで、試験場時代の名残らしく様々な樹種の大木があり、とても気持ちが良い。この公園は普段から利用者がたくさんいる人気スポットのようだが、特にGW最終日の5月5日は天候に恵まれたこともあって「混雑」と言えるくらいの人出で賑わっていた。
レジャーシートを持ち込むのなんてのは当り前で、豪華なピクニックセットや折りたたみ式の椅子やテーブルを用意している人も多い。
風が吹抜け、木漏れ日が落ちるところはめざとく発見され、必ず誰かに陣取られている。太陽の動きに合わせてレジャーシートを動かしている人もいる。でもたまに太陽の動きを忘れて昼寝をしてしまい、直射日光にさらされているおじさんがいたりもして。とにかく最高に気持ちが良い。こういう風景を見ると、みんな公園の快適さを良く知っているんだな、と思う。
こういう環境を建築でも作りたいと常々思っている。ところが、ひとたびああいう快適さを建築で実現しようとすると、とてつもなく大変な道のりが待ち構えていることが多い。
なぜ?みんな公園の快適さは良く知っているはずなのに。
大概の場合、カウンターとして登場するのは高気密高断熱の空調設備依存型室内環境調整方式だ。
では、公園型と空調型(勝手に命名)の違いは何か。それは外部の環境要因に対する態度の取り方だと言える。公園型は、外部の環境要素を最大限利用する。空調型は、外部を出来るだけ遮断する。
確かに、外的要因を遮断すれば安定的に室内環境を整えることができ、平均値的な快適さは担保される。しかし空調機の物理的な限界を超えることはできない。そこを超えるためには、やはり外的要因の有効利用が欠かせない。でも外的要因は不安定で、場合によっては室内環境が少し乱れてしまうリスクもつきまとう。しかし、うまくハマったときの快適さは空調機の限界を軽々と飛び越えてしまう。
リスクを排除するのではなく、うまく軽減し、できるだけ快適な室内環境を作り出すのが建築の重要な役割だろう。建築は、外部を遮断するためではなく、外部と繋がるためにこそ役立つべきだと考えたい。
こういう考え方はとにかくリスクを排除しようという思考が蔓延しているとなかなか受け入れられない。しかも今この時代は、やたらとリスクヘッジに関する技術が向上してしまい、ノーリスクでいかに獲得値を上げるか、ということばかりが取沙汰されているように思う。挙げ句には、本来リスクでないものも、ちょっと不明点があるとすぐにリスクと判定して排除してしまうようなこともある。
リスク排除というと、一見とても強固な正当性が与えられているように見えるけれど、それが取りこぼしてしまうものをきちんと掬い上げることにこそ意義を見いだしたい。

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