8日にSTUDIO4でやった藤村氏の南米視察報告ナイト、とても面白かったので振り返っておきたい。(長いです)
まずは藤村氏が現地で撮りまくってきた写真を見せてもらいながら話を聞くという、タイトル通りの報告からスタート。街の様子やアラヴェナ、スミルハン・ラディッチの仕事、事務所の様子などを拝見。
藤村氏を招聘したチリの若手建築家ディエゴ氏の墓地のリサーチなども。チリにはモダニズムと現代建築しかなく、ポストモダンがないという話など、西洋中心に築かれてきたいわゆる「建築史」が東洋や南米に輸出されたとき、それが地域様々に変奏されている様子が垣間見えて面白い。
続いて、ペルーのPreviの話へ。日本からは黒川紀章や菊竹清訓、槇文彦が参画した実験都市プロジェクト。50年の歳月を経て、大幅に増改築を施された様子を見せてもらう。情報としてはwebなどで既知なのだけど、実際に訪れた実感とともに話を聞けるというのは貴重な機会。
そこで藤村氏が案内人に「この増改築はイリーガルなの?」と質問したら「イリーガルというよりインフォーマルと言いたい」と回答があったという。ここにビビッときたので、後半のディスカッションで、ちょっと突っ込んで聞いてみた。「イリーガルよりインフォーマル」という発言からは、「インフォーマル」という概念がポジティブに捉えられていることが伺える。これは僕自身の感覚とも近いものがあって、インフォーマルという言葉にはえもいわれぬ魅力を感じてしまうのだけど、さて一体、インフォーマルとは何なんだろう。かつての九龍城やコールハースのラゴスリサーチ、最近ではイワンバーン+ETHのデビットタワーなど、インフォーマルな中に見出される人間のたくましさは、多くの建築関係者を未了し続けてきたように思う。そこでの人間の営みは(様々な問題を抱えつつも)とても生き生きとして見え、いわゆる「設計」では作り出せないようなダイナミズムを見せつけてきた。ではこの「インフォーマル」と「設計」の間にどのような関係を見出せるか、というのは、最近の建築において大きな議題になっているように感じる。今年のビエンナーレで金獅子賞をとったスペイン館の展示は「unfinished」がテーマだったのだけど、そこでは経済がスタックして建設途中で投げ出されたビルに棲みつく人々の様子が大きく展示されていて、まさにラゴスやデビットタワーの様子を彷彿とさせるものだった。ビエンナーレディレクターのアラヴェナは「半分だけ作る」ソーシャルハウジングでプリツカー賞を射止めた建築家だし、ヨーロッパ各国の展示は、膨大な移民に喘ぎ、「フォーマル」では対処しきれない問題を前に呆然と立ち尽くすしかない困難の表明が相次いでいた。立場は様々だけど、正しくフォーマルに計画され、建設され、finishしたはずの建築がインフォーマルに蹂躙され、増改築され、unfinishedであっても生き生きと使い倒されている様子との距離感の取り方があちらこちらで模索されているような感じ。僕が通っている神山町も、過疎化、高齢化、消滅可能性などという言葉で形容されてしまうような、言ってみればフォーマルな国土計画からこぼれ落ちてしまった場所だと言えなくもないけれど、あの場所での様々な出来事(それはインフォーマルと呼んでもいいだろう)は多くの注目を集めるに至っている。そんなこんなで、インフォーマルには力があるし、魅力があることを感じる機会はそこいらに転がっている。だけど、ふと、フォーマルはどこに行っちゃったんだろう、と感じることもある。こういう感覚、自治体(行政側)の制度設計などに関わり、フォーマル側に軸足を置いているように見える藤村氏はどう捉え、彼の目にインフォーマルな事象がどう映っているのかを探ってみようと思ったのだけど、来場者の皆さんも様々思うところがあるようで、この辺りから様々な意見が飛び交う展開に。皆答えを探している途中、という感じで、モヤモヤしつつも次々とヒントが出る。門脇さんの「建築はフォーマルにしか振る舞えない(意訳)」、羽鳥さんの「インフォーマルには下ブレだけでなく、上ブレもあり、日建はそれをやっている(これも意訳)」という発言なども、確かに言われてみれば、である。藤村氏自身もその回答については模索中、という感じだったけど、彼が「ロマンティックなインフォーマルには興味ないけど、リアリスティックなインフォーマルには興味ある(またまた意訳)」と言っていたのは面白かった。確かにフォーマルもインフォーマルも様々なロマンにまみれていて、かなりカモフラージュされているのかもしれない。それを解きほぐし、止むに止まれぬリアルな背景と照らし合わせる、という作業がフォーマルともインフォーマルともつかない、時代に即したものの作られ方を見せてくれるのかもしれない。そんなことを考えさせられる会でありました。まだまだ考えは尽きないが、藤村氏の報告を共有できたことで、とてもたくさんの手がかりに触れることができたように思う。この先の長い議論のきっかけを作ってくれた藤村氏に感謝したいと思います。ありがとうございました。
まずは藤村氏が現地で撮りまくってきた写真を見せてもらいながら話を聞くという、タイトル通りの報告からスタート。街の様子やアラヴェナ、スミルハン・ラディッチの仕事、事務所の様子などを拝見。
藤村氏を招聘したチリの若手建築家ディエゴ氏の墓地のリサーチなども。チリにはモダニズムと現代建築しかなく、ポストモダンがないという話など、西洋中心に築かれてきたいわゆる「建築史」が東洋や南米に輸出されたとき、それが地域様々に変奏されている様子が垣間見えて面白い。
続いて、ペルーのPreviの話へ。日本からは黒川紀章や菊竹清訓、槇文彦が参画した実験都市プロジェクト。50年の歳月を経て、大幅に増改築を施された様子を見せてもらう。情報としてはwebなどで既知なのだけど、実際に訪れた実感とともに話を聞けるというのは貴重な機会。
そこで藤村氏が案内人に「この増改築はイリーガルなの?」と質問したら「イリーガルというよりインフォーマルと言いたい」と回答があったという。ここにビビッときたので、後半のディスカッションで、ちょっと突っ込んで聞いてみた。「イリーガルよりインフォーマル」という発言からは、「インフォーマル」という概念がポジティブに捉えられていることが伺える。これは僕自身の感覚とも近いものがあって、インフォーマルという言葉にはえもいわれぬ魅力を感じてしまうのだけど、さて一体、インフォーマルとは何なんだろう。かつての九龍城やコールハースのラゴスリサーチ、最近ではイワンバーン+ETHのデビットタワーなど、インフォーマルな中に見出される人間のたくましさは、多くの建築関係者を未了し続けてきたように思う。そこでの人間の営みは(様々な問題を抱えつつも)とても生き生きとして見え、いわゆる「設計」では作り出せないようなダイナミズムを見せつけてきた。ではこの「インフォーマル」と「設計」の間にどのような関係を見出せるか、というのは、最近の建築において大きな議題になっているように感じる。今年のビエンナーレで金獅子賞をとったスペイン館の展示は「unfinished」がテーマだったのだけど、そこでは経済がスタックして建設途中で投げ出されたビルに棲みつく人々の様子が大きく展示されていて、まさにラゴスやデビットタワーの様子を彷彿とさせるものだった。ビエンナーレディレクターのアラヴェナは「半分だけ作る」ソーシャルハウジングでプリツカー賞を射止めた建築家だし、ヨーロッパ各国の展示は、膨大な移民に喘ぎ、「フォーマル」では対処しきれない問題を前に呆然と立ち尽くすしかない困難の表明が相次いでいた。立場は様々だけど、正しくフォーマルに計画され、建設され、finishしたはずの建築がインフォーマルに蹂躙され、増改築され、unfinishedであっても生き生きと使い倒されている様子との距離感の取り方があちらこちらで模索されているような感じ。僕が通っている神山町も、過疎化、高齢化、消滅可能性などという言葉で形容されてしまうような、言ってみればフォーマルな国土計画からこぼれ落ちてしまった場所だと言えなくもないけれど、あの場所での様々な出来事(それはインフォーマルと呼んでもいいだろう)は多くの注目を集めるに至っている。そんなこんなで、インフォーマルには力があるし、魅力があることを感じる機会はそこいらに転がっている。だけど、ふと、フォーマルはどこに行っちゃったんだろう、と感じることもある。こういう感覚、自治体(行政側)の制度設計などに関わり、フォーマル側に軸足を置いているように見える藤村氏はどう捉え、彼の目にインフォーマルな事象がどう映っているのかを探ってみようと思ったのだけど、来場者の皆さんも様々思うところがあるようで、この辺りから様々な意見が飛び交う展開に。皆答えを探している途中、という感じで、モヤモヤしつつも次々とヒントが出る。門脇さんの「建築はフォーマルにしか振る舞えない(意訳)」、羽鳥さんの「インフォーマルには下ブレだけでなく、上ブレもあり、日建はそれをやっている(これも意訳)」という発言なども、確かに言われてみれば、である。藤村氏自身もその回答については模索中、という感じだったけど、彼が「ロマンティックなインフォーマルには興味ないけど、リアリスティックなインフォーマルには興味ある(またまた意訳)」と言っていたのは面白かった。確かにフォーマルもインフォーマルも様々なロマンにまみれていて、かなりカモフラージュされているのかもしれない。それを解きほぐし、止むに止まれぬリアルな背景と照らし合わせる、という作業がフォーマルともインフォーマルともつかない、時代に即したものの作られ方を見せてくれるのかもしれない。そんなことを考えさせられる会でありました。まだまだ考えは尽きないが、藤村氏の報告を共有できたことで、とてもたくさんの手がかりに触れることができたように思う。この先の長い議論のきっかけを作ってくれた藤村氏に感謝したいと思います。ありがとうございました。
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