G/Pギャラリーで緒方範人さんの個展を見た。
彼の作品には今年の6月に3331のg3ギャラリーで偶然出会い、それ以降とても気になっている。
緒方氏の作品はいわゆる「写真」なのだけれど、ちょっと(というかだいぶ)変わった「撮影方法」で作られている。
その方法とは、カメラで撮影した画像に加え、ネット上の画像データやGoogleのストリートビュー画像を集め、さらにモデリングやレンダリングで作られた画像とコラージュして新しい世界を構築し、それをプリントするというもの。(書いていてもよくわからないので、ぜひ実物を見てほしい)
そこで描かれているのは、どこかで見たことがあるはずなのに、どこにもない世界。様々なレンダリングを経て、あるはずのものが消され、あるいは肥大化され、建物にまつわるイメージや情報が操作されている。写真の中の建物は、緒方氏によってデフォルメされ、漂白され、増幅させられていて、そんな断片的なイメージの集合からなる全体には既視感と違和感が入り混じる。
ここで描写されている世界を、緒方氏は「完全な建築」だと言う。
かつて杉本博司氏は「ARCHITECTURE」と銘打って「ピンボケした建築写真」を発表し、「建築は実現する過程で余分なものを付加されてしまうので、ピンボケした状態こそがその建築の最もピュアな姿を表している」と語っていた。この、現実世界で実際に建ち上がる建築に対して、その不純さ、不完全さを指摘するという態度は緒方氏にも通ずるところがあるといえる。
確かに、建築はある種の不純さや不完全さを内包せざるを得ない。しかし、その不純さ、不完全さが建築を作っていく上で重要な要素であるのも事実。そして、純度の高低は必ずしもその建築物の質に直接影響はしない。
ただ、建築を作る側に立つのであれば、建築は、「純度」という系があり、常にそこには上げたがる力と下げたがる力が作用しているということには注意を払うべきである。
建築に関わる僕としては、緒方氏の作品を、純度問題を考える上で参照すべき重要な座標軸のように感じている。
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