20130227

「プリンティングディレクションとグラフィックデザインの対話」について


215日、STUDIO4に山田写真製版所のプリンティングディレクター、熊倉桂三さんをお招きした「プリンティングディレクションとグラフィックデザインの対話」、時間が全く足りないくらいの内容でしばらく興奮していたが、ちょっと落ち着いてきたので振り返っておきたい。



まずは熊倉さんによる「印刷の基礎知識」的なレクチャーからスタート。「水と空気以外なら何でも刷れる」という宣言から始まり、「印刷の五大要素」など、印刷がどういう仕組みの上に成り立っている技術なのかということをわかりやすく解説して頂く。その後、熊倉さんにお持ち頂いた、これまでに手掛けられた様々な印刷物(書籍、ポスター、カレンダー等)を見ながら、ホスト役の中野豪雄さんとともに、より踏み込んだ話へ。

このイベントのきっかけにもなった、グラデーションがとても美しい勝井三雄氏デザインの2013年カレンダー(10色刷)は、分色版(色毎に分けた版)を見ながら解説して頂く。デザイナーから受け取ったデータをそのまま印刷しても、思い通りの結果にはならないのだという。デザインのイメージを具現化するために、熊倉さんは分色の方法を模索し、勝井氏はダメを出し続ける。このやり取りを経て、やっと一枚のカレンダーが刷り上がるプロセスはとても濃密で、感動的ですらある。このカレンダーは山田写真製版所の宣材ということもあり、やや特殊な事例と理解すべきかもしれないが、しかしとてもエキサイティングで、関わる人々が楽しそうに取り組んでいる様子が伝わってくる。

その他、中野氏がデザンした「世界を変えるデザイン展」のポスターや永井一正氏の「LIFE」、トリパインやコモリのカレンダー、佐藤卓氏による「縄文人」のポスターや図録、さらにはストラディバリウスの超豪華な本から小泉今日子の写真集まで、様々な印刷物を開陳し、それぞれどのようなプロセスを経たかを軸にトークが展開して行く。
仕事の内容は様々だが、共通しているのは、どんな意図でデザインされたものかを汲み取りながら、いかに機械や紙、インクなどを使いこなし、成果物へと昇華させていくかという探求の姿勢である。仕事の内容に合わせて、その都度方法や手段が模索されている。こう書くと当たり前のように聞こえるが、実際印刷の現場でこの姿勢を貫くことはそう簡単ではないらしい。

そこには「標準化」という大きな壁が立ちはだかっている。
言わずもがな印刷は大量生産を前提として発展してきた技術である。大量の要求に応え、品質を担保するという必要性が「標準」という物差しを欲し始めるのはごく自然な成り行きだろう。日本に於ける印刷の世界には「ジャパンカラー」という標準規格があり、大半の印刷物はこの規格に則って製作されている。「標準規格」とは「これだけのクオリティは保証します」というもの、つまり粗悪な製品が世に出るのを防ぐためのものと言えるが、熊倉さんの話は、時にそれは「これだけのクオリティ」以上のものを作ることを阻害する危うさが潜んでいることを気づかせてくれる。「ジャパンカラーでしか刷れないのなら、印刷物はwebで良いじゃん」という熊倉さんの言葉は、クオリティ担保のための規格が印刷自体を絶滅へと追い込みかねないという転倒を示唆している。

昨今は「多様性の時代」といわれて久しい。翻って、20世紀は「標準化の時代」であった。機械が世界を席巻し、「グローバルスタンダード」などという言葉ももてはやされた。実際、経済は拡大し、成長というベクトルを皆が共有することが可能な時代だった。「大きな物語」という言葉が、そんな時代をわかりやすく表象している。このような背景の中で、「標準」というある種の共有の論理はすんなりと社会の中に定着していったのだろう。
さて、物語亡き「多様性の時代」。いま僕たちは何を共有しているのだろう。強いて言えば共有できないことを共有している、分かり合えないことを分かり合っているのかもしれない。そんな中では「標準」の価値はどんどん無効化していくのではないか。
「標準」と「機械」がセットだった時代を僕らは既に通り過ぎている。機械に合わせず、作るものに合わせて機械を使いこなす。今の時代に相応しいもののつくり方って、こういう形なのではないかと思う。熊倉さんの話を伺いながら、そんなことが頭をよぎっていた。

今回のトークで唯一失敗だったと思うのは、当日話題に上がった事例がどれも「特殊解」に見えてしまったかもしれないということだ。「コストがあれば」「時間があれば」「クライアントの理解があれば」など、何か特別な好条件下でしか成り立たないように見えてしまったかもしれない。しかし決してそんなことはなく、どんな条件下でも「標準」に捕われず、状況に合わせて方法を見つけ出していく姿勢を感じ取って頂ければ幸いである。言うなれば、僕たちは「全てが特殊解」の時代に生きているのだ。
下の写真を見てほしい。ジャパンカラーを乗り越えろ!と意気投合する二人の顔の、なんと楽しそうなことか。こういう楽しさこそ、「共有」される時代になると良いなと強く思う。

写真(二点とも):松井雄一郎

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