20081020

ダイアローグは危険


いま、隈研吾の「レクチャー/ダイアローグ」を読んでいます。ダイアローグ、つまり対話であり、この本は隈氏と様々な識者との対談をまとめたものです。
対話という形式は、文章も平易でとても読みやすいのですが、どうも観念論的な内容になりがちで内容が頭に入って来ません。(言葉は悪いですが)隈氏の言説はただでさえ一歩間違えると簡単に騙されるというか、根拠無く納得させられてしまうような仕組みになっていて、いつも困惑させられるのですが、ダイアローグと言う形式で語る隈氏はさらに危険です。
摩擦がほとんど無く、いくら掴もうとしてもするりと抜け落ちてしまうような感じ。トゲトゲしているよりつるつるの方が一見やさしそうで安心しますが、これには気をつけないといけません。

20080922

磯崎新の「都庁」


「磯崎新の『都庁』」を読了。
平松剛の著作は初めてでしたが、なんてわかりやすい文章を書くのだろうと感心。
先日「建築設計お仕事ガイド」のトークショーをやった際に、「建築の言葉はなぜこんなに難しくなったのか?」という話題がでたのですが、諸悪の根源として名前が挙がったのが磯崎氏でした。彼が若くして万博などの政治的イベントに巻き込まれ、様々な力学の渦の中に建築が飲み込まれそうになっているのを目の当たりにした時、なんとかそれを食い止めるために言葉の力に頼らざるを得なくなったと。
この時代に踏ん張った磯崎氏の、時代と格闘する苦悩は様々な彼の著作からも伺い知ることができます。
そんな「難しい建築」の代名詞とも言うべき彼の仕事を、こんなに簡単に記述できてしまう平松氏はタダモノではない。
僕も、普段自分の仕事を説明する際に使っている言葉について考えさせられる一冊でした。

20080901

ホームプランニング2008年9.10月号

ホームプランニング2008年9.10月号掲載

20080712

フリータイム

巷で話題のチェルフィッチュという劇団があります。すごい評判で、演劇の話になると名前が出ないことはない、という勢い。いろんな賞も総ナメです。
こういうのは押さえておきたいと思うのですが、なかなかタイミングが合わず、まだ公演を見たことはありません。
と、そんな矢先、家に帰ってテレビをつけたら彼らの「フリータイム」という公演をやっていました。これはラッキー。その評判たるや、いかなるものかと。どんな面白い芝居なのかと。期待に胸を膨らませて鑑賞したのですが。

ひどくつまらなかった。というか、イライラしました。

普通ならそこでテレビを消すのですが、公演放映の後、主宰の岡田利規氏と大江健三郎氏の対談があるとのことで、ムカついたあまり、「どんなこと考えてこんな芝居作るのか聞いてやろうじゃねえか」と意気込んでしまい、それも見ることに。
その対談を聞いてみると・・・。これが非常に面白かったわけです。
「演劇」という形式に対する新しい試みがあり、「役者とは」「台詞とは」「身体とは」「舞台とは」といった問題に対する鋭い批評性が感じられます。「台詞と身体を同等に扱う」という発言など、シビレてしまいます。

しかし、その対談に興奮してもなお、チェルフィッチュの公演自体が面白いとは思えないだろうな、というのが素直な感想。
つまり、コンセプトは最高に面白いけど、その結果が魅力的ではないわけです。
これは、自分にとってもとても重大な問題です。
建築家に限らず、あらゆるクリエイションに関わる人たちは、今の自分を取り巻いている状況を疑い、固定化した形式に捕われず、新しい提案を行っていくという責務があります。その過程には様々な思考があり、コンセプトがあり、その結果として戯曲が出来たり、建物が立ったりするわけです。
一方で、新しさを求めるあまり、単に突飛なものや、奇天烈なものが登場してしまうことも無いわけではない。あるいは、コンセプトは完璧だけど形が格好悪い、という事態もママあるわけで。
結果として提示するかたちが魅力的でないと、その提案は説得力を持たないのです。
「新しさに惑わされずに、それがもたらす真の価値を見定めなければならない」と強く思いました。

余談ですが、「チェルフィッチュの芝居を撮影した写真を見る」というのが、今のところ僕にとって彼らの芝居を楽しむ一番の方法であることは、書き記しておこうと思います。

20080701

告知

今週末行われる「建築設計お仕事ガイド」の出版記念トークショーで司会をやることになりました。
皆様、ご多忙の事とは思いますが、足をお運び頂ければ幸いです。

以下イベント概要です。
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「建築設計お仕事ガイド」出版記念トークショー
・日時:7月4日(金)19時半~
・会場:5TANDA SONIC
・入場料:1,000円(学生500円)
・出演者:馬場正尊(openA代表) 
     × 松本理寿輝(フィルカンパニー副社長)
     × 藤原徹平(隈研吾建築都市設計事務所)
・司会:伊藤暁(MS4D)
・プロデュース:倉島陽一(A.C.O.代表)
・協力:エクスナレッジ
19:30~ 開場
20:00~ 自己紹介+トークショー
22:00~ 質問コーナー+サロンタイム
23:00~ お開き
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20080609

高橋匡太

友人に誘われて、久しぶりに高橋匡太さんのライブパフォーマンスに行ってきました。
高橋匡太さんは、最近では十和田市現代美術館の常設ライトアップ等を手がけている、光を扱うアーティストです。
初めて観た彼のパフォーマンスは2006年にタマダアートプロジェクトで行われた「flo+out」でした。そこで目にしたのは「幻影巻取機」なる不思議な道具。回転する「ろくろ」にDVを取付けて、その上に色砂や液体を落としながら撮影し、ライブで編集して映像を作る、というものでした。原理はかなりアナログですが、微妙にタイムラグを付けたり、ディレイ気味に映像を投影するなど、PCならではの手法も盛り込まれています。
その頃は様々な映像クリエーターやVJがいて、PCを駆使したすごい作品が世の中に溢れていたのですが、その中でアナログな映像作品がとても衝撃的で、技術に踊らされていない、とても新鮮なものを見せてもらったパフォーマンスでした。
あれから2年。久々に見る高橋さんのパフォーマンスは、ますますパワーアップしていましたが、今回はLEDを用いた道具がメインで正直ちょっと残念なところもありました。
つくり出される光や映像はとても面白かったのですが、どうしても予定調和的な雰囲気が拭いきれず、やや消化不良気味。

いま、日本人のアーティストは皆「村上隆の呪い」に取り憑かれているように思います。つまり、アート作品には「コンセプト」が最も重要で、単純に「絵がうまい」とか「細かい描写ができる」とか、いわゆる人間の手技による成果は意味を持たない、という問題提起です。
この宣告があまりに強烈だったため、アーティストたちは皆「手技」に頼ることが悪であるように思いこむという呪いにかかってしまった。
これはある意味、的を射た指摘だと思います。でも門外漢としては、必ずしも人間の手技が価値を持たないわけではないと思うし、「手技」による表現自体がコンセプトとなるような作品も存在しうるとも思います。
この問題を考えると、いつも20世紀初頭に建築の世界で起った「工業か手工芸か」という問題を思い出さずにはいられません。
新たに登場した工業というものの作り方に対して、人間の手作業は意味を持つのかと言う問題です。結局工業が勝利したのは周知のとおりです。
しかし、技術はただ「使えば良い」ものではなく、いかに使うかということこそが問題のはず。
高橋さんの2006年のパフォーマンスは、その問題にとても鮮やかな答えを提示しているように感じました。
今回のパフォーマンスは、前回と比べると技術に対する鋭い批評性という点に於いて、やや物足りなさが残るものでした。
もちろん、それが重要なのかどうかも含めて、一考の余地があるのはいうまでもありませんが。

20080603

柴田鑑三展


月曜日、現場帰りにINAXギャラリーで開催されている「柴田鑑三展」のギャラリートークへ。
柴田氏はスタイロフォームを使いこなす彫刻家で、ワタリウム美術館クマグスの森展の際にはいろいろアドバイスを頂きました。
久々の再開。
スタイロは建築の断熱材として使われるもので、建築模型などでも活躍することが多いので馴染み深い材料だったのですが、まさかあんなかたちに姿を変えることが出来る物質だったとは、という作品でした。
柴田氏はトークの中で「『線』に興味がある」と言っていましたが、そこには極めて艶かしく、力強く、ふくよかな「線」がありました。言葉で「線」と言ってしまうと単なる二次元の物体ですが、そこに注目することで、厚みを見いだし、中に潜む豊かな世界を発見できるのだということを鮮やかに見せてくれるような作品です。しかもとても美しい。
6月26日まで。