G/Pギャラリーで緒方範人さんの個展を見た。
彼の作品には今年の6月に3331のg3ギャラリーで偶然出会い、それ以降とても気になっている。
緒方氏の作品はいわゆる「写真」なのだけれど、ちょっと(というかだいぶ)変わった「撮影方法」で作られている。
その方法とは、カメラで撮影した画像に加え、ネット上の画像データやGoogleのストリートビュー画像を集め、さらにモデリングやレンダリングで作られた画像とコラージュして新しい世界を構築し、それをプリントするというもの。(書いていてもよくわからないので、ぜひ実物を見てほしい)
そこで描かれているのは、どこかで見たことがあるはずなのに、どこにもない世界。様々なレンダリングを経て、あるはずのものが消され、あるいは肥大化され、建物にまつわるイメージや情報が操作されている。写真の中の建物は、緒方氏によってデフォルメされ、漂白され、増幅させられていて、そんな断片的なイメージの集合からなる全体には既視感と違和感が入り混じる。
ここで描写されている世界を、緒方氏は「完全な建築」だと言う。
かつて杉本博司氏は「ARCHITECTURE」と銘打って「ピンボケした建築写真」を発表し、「建築は実現する過程で余分なものを付加されてしまうので、ピンボケした状態こそがその建築の最もピュアな姿を表している」と語っていた。この、現実世界で実際に建ち上がる建築に対して、その不純さ、不完全さを指摘するという態度は緒方氏にも通ずるところがあるといえる。
確かに、建築はある種の不純さや不完全さを内包せざるを得ない。しかし、その不純さ、不完全さが建築を作っていく上で重要な要素であるのも事実。そして、純度の高低は必ずしもその建築物の質に直接影響はしない。
ただ、建築を作る側に立つのであれば、建築は、「純度」という系があり、常にそこには上げたがる力と下げたがる力が作用しているということには注意を払うべきである。
建築に関わる僕としては、緒方氏の作品を、純度問題を考える上で参照すべき重要な座標軸のように感じている。
20101104
20101025
石上純也展
豊田市美術館にて開催中の石上純也展へ。
この展覧会、それはもうとても素晴らしく面白いものだった。あそこで展示されていたのは、間違いなく新しい技術の萌芽。石上さんの作品は、彼の情緒的なスケッチが印象的なこともあって「雨」とか「雲」とかのアナロジーを軸に語られることが多いが、彼の真骨頂は、むしろ常に新しい技術を携えてアイデアを構築しているところではないか。
例えば「雨を建てる」。構造系の学会なんかで「0.9mmの圧縮材と0.02mmの引張材による自立性の検証」とかいう論文(超テキトウに命名)の実験例として展示されてても何の違和感もなく受け入れられそうだ。もちろん、それはただの技術であって、そこにどういう想像力を添付してドライブさせていくかが問われるわけで、石上さんはそこで「雨」というイメージを導入してみせたということ。
パンフレットの中で、彼は「シェルターとしての建築ではなく、環境そのものとしての建築を考えたい」という主旨のことを書いている。
建築を「環境」に接続する想像のための手掛かりとして、「雨」とか「雲」とか「森」とかのアナロジーを用いているわけだ。
それは、いままでの建築(=人工環境)と自然環境との境界が曖昧になってきている、もっと両者が影響しあう新しい環境をつくり出したい、という彼の認識に立脚している。
ただ、僕はここに少なからぬ違和感を感じてしまう。彼の追求している技術は、むしろ人工環境を突き詰めた、バリバリに先端で、とても理性的な環境なのではないかという気がしてならないのだ。
雨とか雲とかいう類いの単語を持ち出すことで、なんとなく自然環境に近づいているような気がしてしまうのだけれど、彼の環境には「人間」や「生活」の存在感が希薄だし、実はネコすらも受け入れられなかった(ヴェネチアビエンナーレでの石上さんの展示はネコが侵入して倒壊、という噂を聞いたので)というエピソードが、その自然性が捏造されたイメージでしかないことを顕在化させているように思う。
というわけで、「雨」とか「森」などのアナロジーを採用することの有効性については疑問がのこるけれど、ともあれ強烈に新しい世界を想像させてくれる、新しい技術に出会えることは、なんとも至福な体験なのだ。石上さんの切り開いている道を、表面的な印象論だけで片付けてしまうのはあまりにももったいない。
石上純也展「建築のあたらしい大きさ」
豊田市美術館 12月26日まで
この展覧会、それはもうとても素晴らしく面白いものだった。あそこで展示されていたのは、間違いなく新しい技術の萌芽。石上さんの作品は、彼の情緒的なスケッチが印象的なこともあって「雨」とか「雲」とかのアナロジーを軸に語られることが多いが、彼の真骨頂は、むしろ常に新しい技術を携えてアイデアを構築しているところではないか。
例えば「雨を建てる」。構造系の学会なんかで「0.9mmの圧縮材と0.02mmの引張材による自立性の検証」とかいう論文(超テキトウに命名)の実験例として展示されてても何の違和感もなく受け入れられそうだ。もちろん、それはただの技術であって、そこにどういう想像力を添付してドライブさせていくかが問われるわけで、石上さんはそこで「雨」というイメージを導入してみせたということ。
パンフレットの中で、彼は「シェルターとしての建築ではなく、環境そのものとしての建築を考えたい」という主旨のことを書いている。
建築を「環境」に接続する想像のための手掛かりとして、「雨」とか「雲」とか「森」とかのアナロジーを用いているわけだ。
それは、いままでの建築(=人工環境)と自然環境との境界が曖昧になってきている、もっと両者が影響しあう新しい環境をつくり出したい、という彼の認識に立脚している。
ただ、僕はここに少なからぬ違和感を感じてしまう。彼の追求している技術は、むしろ人工環境を突き詰めた、バリバリに先端で、とても理性的な環境なのではないかという気がしてならないのだ。
雨とか雲とかいう類いの単語を持ち出すことで、なんとなく自然環境に近づいているような気がしてしまうのだけれど、彼の環境には「人間」や「生活」の存在感が希薄だし、実はネコすらも受け入れられなかった(ヴェネチアビエンナーレでの石上さんの展示はネコが侵入して倒壊、という噂を聞いたので)というエピソードが、その自然性が捏造されたイメージでしかないことを顕在化させているように思う。
というわけで、「雨」とか「森」などのアナロジーを採用することの有効性については疑問がのこるけれど、ともあれ強烈に新しい世界を想像させてくれる、新しい技術に出会えることは、なんとも至福な体験なのだ。石上さんの切り開いている道を、表面的な印象論だけで片付けてしまうのはあまりにももったいない。
石上純也展「建築のあたらしい大きさ」
豊田市美術館 12月26日まで
20100826
HODC東京シンポジウム
8月29日に開催されるHODCの東京シンポジウムに参加させて頂く予定です。
皆様お誘い合わせのうえお越し下さい。
詳細は下記です。
【東京シンポジウム詳細】
日時:2010年8月29日(日) 15:30〜18:00(OPEN 15:00)
(シンポジウム後1時間程度の懇親会あり)
場所:銀座スペース アルコイリス
(東京都中央区銀座4-13-11 銀座M&Sビル)
http://www.ginza-arcoiris.jp/space/access/index.html
[テーマ]
「建築家は如何に都市をデザインするか?」
[構成]
・HODC趣旨説明
・各提案者プレゼンテーション
・ディスカッション
[モデレータ]
・加藤孝司 (ライター/FORM_Story of design)
・門脇耕三 (首都大学東京助教)
[出演者]
・荒木源希 佐々木高之 佐々木珠穂 (A+Sa アラキ+ササキアーキテクツ)
・伊藤暁 (伊藤暁建築設計事務所)
・白井宏昌 (H2Rアーキテクツ)
・成瀬友梨 猪熊純 (成瀬猪熊建築設計事務所)
・畑友洋 (畑友洋建築設計事務所)
・藤村龍至 (藤村龍至建築設計事務所)
・小川文象 (FUTURE STUDIO)
・黒川泰孝 馬場兼伸 古澤大輔 (メジロスタジオ)
・雨宮知彦 (UNITY DESIGN)
(敬称略)
※調整中ですので、変更の可能性があります。
[ゲストコメンテーター]
・町村敬志 (一橋大学教授)
・柄沢祐輔 (柄沢祐輔建築設計事務所)
(敬称略)
参加費:無料(懇親会は会費1000円)
定員:60名(予約制)
皆様お誘い合わせのうえお越し下さい。
詳細は下記です。
【東京シンポジウム詳細】
日時:2010年8月29日(日) 15:30〜18:00(OPEN 15:00)
(シンポジウム後1時間程度の懇親会あり)
場所:銀座スペース アルコイリス
(東京都中央区銀座4-13-11 銀座M&Sビル)
http://www.ginza-arcoiris.jp/space/access/index.html
[テーマ]
「建築家は如何に都市をデザインするか?」
[構成]
・HODC趣旨説明
・各提案者プレゼンテーション
・ディスカッション
[モデレータ]
・加藤孝司 (ライター/FORM_Story of design)
・門脇耕三 (首都大学東京助教)
[出演者]
・荒木源希 佐々木高之 佐々木珠穂 (A+Sa アラキ+ササキアーキテクツ)
・伊藤暁 (伊藤暁建築設計事務所)
・白井宏昌 (H2Rアーキテクツ)
・成瀬友梨 猪熊純 (成瀬猪熊建築設計事務所)
・畑友洋 (畑友洋建築設計事務所)
・藤村龍至 (藤村龍至建築設計事務所)
・小川文象 (FUTURE STUDIO)
・黒川泰孝 馬場兼伸 古澤大輔 (メジロスタジオ)
・雨宮知彦 (UNITY DESIGN)
(敬称略)
※調整中ですので、変更の可能性があります。
[ゲストコメンテーター]
・町村敬志 (一橋大学教授)
・柄沢祐輔 (柄沢祐輔建築設計事務所)
(敬称略)
参加費:無料(懇親会は会費1000円)
定員:60名(予約制)
20100818
20100814
20100720
ディクショナリー倶楽部 ART SCHOOL
桑原茂一氏率いる「CLUB KING」が渋谷にとても面白い学校を開校させた。
その名も「ディクショナリー倶楽部 ART SCHOOL」。
渋谷AXホールのすぐ脇にひっそりと建っていた旧東京都水道局の詰め所が改装されて、なんとも魅力的な学校に姿を変えている。
まわりは緑に囲まれ、渋谷にこんな場所があったとは!、という環境。実は、東京にはこういう忘れられている小さな場所がたくさんある。
でも、この手の場所は身の回りを流れていく情報だけを集めていても絶対に見つからない、都市を使い倒してやろう、と能動的に動いてこそ手に入れられる宝物みたいなものだ。
都市での宝探しはとても楽しい。しかも、桑原氏は見つけた場所を新しい活動を生み出す拠点に変えてしまうという。なんてエキサイティング!
僕もこの学校の船出に少しでも力になれれば、という思いで開校記念イベント「T-SHIRTS AS MEDIA」の会場構成をお手伝いさせていただいた。ぜひご覧下さい。
場所はこちら。
・東京都渋谷区神南1-2-5
・JR原宿駅から徒歩7分、JR渋谷駅から徒歩10分。
20100609
UNICORN SUPPORT
僕の母校である、横浜国立大学の建築系有志OBによって運営されている「円錐会」がホームページを作成しました。
http://www.unicorn-support.info/
インタビュー記事や海外で活躍する若手によるブログ、会員から発信されるニュース記事など、コンテンツも充実しています。
横浜国立大学建築学教室はY-GSAという大学院を設立し、精力的に建築/都市についての教育活動を実践しています。
OBとしてその活動をサポートし、かつ建築界に多様な言説を提供するためのプラットフォームになればという思いでウェブサイトを立ち上げました。学外の方にもどんどん関わって頂き、魅力あるコンテンツを発信していきたいと考えています。
私も、微力ながらwebサイトの編集長として関わらせて頂いております。
ぜひご高覧頂き、ご意見、ご感想などお聞かせ下さい。
20100522
20100508
立川シネマスタジオ
立川で友人たちが企画、運営、設計、施工を手がけているシネマスタジオのオープニングイベントに行ってきた。自ら商店街に乗り込み、商店会と交渉し、空き店舗を借り上げ、シェアハウスとカフェを作ってしまったというもの。様々な人を巻き込みながら、半ば強引に計画を推進させるパワーに恐れ入った。今後に向けて仕込んでいる計画もあるようで、さらなる展開が期待できる。とても楽しみ。
オープニングでは建築、デザインの関係者から学者さん、役所の人、商店会のおじさんまでとても雑多な人々が入り乱れていて、誰もがとても楽しそうだった。ちょっと遅刻してしまって聞き逃したのだけど、商店会長さんのスピーチによると「シネマ通り始まって以来の人出」だったのだとか。
まだ始まったばかりだけれど、立川、これからどんどん面白くなりそうだ。
オープニングでは建築、デザインの関係者から学者さん、役所の人、商店会のおじさんまでとても雑多な人々が入り乱れていて、誰もがとても楽しそうだった。ちょっと遅刻してしまって聞き逃したのだけど、商店会長さんのスピーチによると「シネマ通り始まって以来の人出」だったのだとか。
まだ始まったばかりだけれど、立川、これからどんどん面白くなりそうだ。
20100507
公園の快適性
GWは、近所にある「林試の森公園」に二度も行ってしまった。「林試の森公園」は、かつて林野庁の「林業試験場」だったところを公園に改造したところで、試験場時代の名残らしく様々な樹種の大木があり、とても気持ちが良い。この公園は普段から利用者がたくさんいる人気スポットのようだが、特にGW最終日の5月5日は天候に恵まれたこともあって「混雑」と言えるくらいの人出で賑わっていた。
レジャーシートを持ち込むのなんてのは当り前で、豪華なピクニックセットや折りたたみ式の椅子やテーブルを用意している人も多い。
風が吹抜け、木漏れ日が落ちるところはめざとく発見され、必ず誰かに陣取られている。太陽の動きに合わせてレジャーシートを動かしている人もいる。でもたまに太陽の動きを忘れて昼寝をしてしまい、直射日光にさらされているおじさんがいたりもして。とにかく最高に気持ちが良い。こういう風景を見ると、みんな公園の快適さを良く知っているんだな、と思う。
こういう環境を建築でも作りたいと常々思っている。ところが、ひとたびああいう快適さを建築で実現しようとすると、とてつもなく大変な道のりが待ち構えていることが多い。
なぜ?みんな公園の快適さは良く知っているはずなのに。
大概の場合、カウンターとして登場するのは高気密高断熱の空調設備依存型室内環境調整方式だ。
では、公園型と空調型(勝手に命名)の違いは何か。それは外部の環境要因に対する態度の取り方だと言える。公園型は、外部の環境要素を最大限利用する。空調型は、外部を出来るだけ遮断する。
確かに、外的要因を遮断すれば安定的に室内環境を整えることができ、平均値的な快適さは担保される。しかし空調機の物理的な限界を超えることはできない。そこを超えるためには、やはり外的要因の有効利用が欠かせない。でも外的要因は不安定で、場合によっては室内環境が少し乱れてしまうリスクもつきまとう。しかし、うまくハマったときの快適さは空調機の限界を軽々と飛び越えてしまう。
リスクを排除するのではなく、うまく軽減し、できるだけ快適な室内環境を作り出すのが建築の重要な役割だろう。建築は、外部を遮断するためではなく、外部と繋がるためにこそ役立つべきだと考えたい。
こういう考え方はとにかくリスクを排除しようという思考が蔓延しているとなかなか受け入れられない。しかも今この時代は、やたらとリスクヘッジに関する技術が向上してしまい、ノーリスクでいかに獲得値を上げるか、ということばかりが取沙汰されているように思う。挙げ句には、本来リスクでないものも、ちょっと不明点があるとすぐにリスクと判定して排除してしまうようなこともある。
リスク排除というと、一見とても強固な正当性が与えられているように見えるけれど、それが取りこぼしてしまうものをきちんと掬い上げることにこそ意義を見いだしたい。
レジャーシートを持ち込むのなんてのは当り前で、豪華なピクニックセットや折りたたみ式の椅子やテーブルを用意している人も多い。
風が吹抜け、木漏れ日が落ちるところはめざとく発見され、必ず誰かに陣取られている。太陽の動きに合わせてレジャーシートを動かしている人もいる。でもたまに太陽の動きを忘れて昼寝をしてしまい、直射日光にさらされているおじさんがいたりもして。とにかく最高に気持ちが良い。こういう風景を見ると、みんな公園の快適さを良く知っているんだな、と思う。
こういう環境を建築でも作りたいと常々思っている。ところが、ひとたびああいう快適さを建築で実現しようとすると、とてつもなく大変な道のりが待ち構えていることが多い。
なぜ?みんな公園の快適さは良く知っているはずなのに。
大概の場合、カウンターとして登場するのは高気密高断熱の空調設備依存型室内環境調整方式だ。
では、公園型と空調型(勝手に命名)の違いは何か。それは外部の環境要因に対する態度の取り方だと言える。公園型は、外部の環境要素を最大限利用する。空調型は、外部を出来るだけ遮断する。
確かに、外的要因を遮断すれば安定的に室内環境を整えることができ、平均値的な快適さは担保される。しかし空調機の物理的な限界を超えることはできない。そこを超えるためには、やはり外的要因の有効利用が欠かせない。でも外的要因は不安定で、場合によっては室内環境が少し乱れてしまうリスクもつきまとう。しかし、うまくハマったときの快適さは空調機の限界を軽々と飛び越えてしまう。
リスクを排除するのではなく、うまく軽減し、できるだけ快適な室内環境を作り出すのが建築の重要な役割だろう。建築は、外部を遮断するためではなく、外部と繋がるためにこそ役立つべきだと考えたい。
こういう考え方はとにかくリスクを排除しようという思考が蔓延しているとなかなか受け入れられない。しかも今この時代は、やたらとリスクヘッジに関する技術が向上してしまい、ノーリスクでいかに獲得値を上げるか、ということばかりが取沙汰されているように思う。挙げ句には、本来リスクでないものも、ちょっと不明点があるとすぐにリスクと判定して排除してしまうようなこともある。
リスク排除というと、一見とても強固な正当性が与えられているように見えるけれど、それが取りこぼしてしまうものをきちんと掬い上げることにこそ意義を見いだしたい。
20100409
HODC
6月に広島で行われるHODC(Hiroshima 2020 Design Charrette)に参加することになりました。
合わせて、4月17日に東京で行われるプレイベントにもゲストとして参加します。
詳細はこちら。
ぜひお越し下さい。
日時:2010年4月17日(土曜日)
OPEN:18:30
START:19:00
会場:HAPPA
東京都目黒区上目黒2−30−6
TICKET INFO(先着50名様)
一般 ¥2,000
学生 ¥1,000(当日受付にて学生証のご提示をお願いします)
+ 1 Drink
チケット予約受付係 arakisasaki@mbe.nifty.com
一般/学生を明記の上、お名前、ご連絡先をお送りください。
予約受付完了メールを返信致します。
出演:Hiroshima 2020 Design Charrette実行委員
佐々木高之[建築家 アラキ+ササキアーキテクツ]
小川文象[建築家 FUTURE STUDIO]
木原一郎[アーバニスト full stage]
門脇耕三[首都大学東京助教]
加藤孝司[デザインジャーナリスト FORM_Story of design]
ゲスト:Hiroshima 2020 Design Charrette提案予定者
[アラキ+ササキアーキテクツ]
荒木源希 Araki, Motoki、 佐々木珠穂 Sasaki, Tamaho
[伊藤暁建築設計事務所]
伊藤 暁 Ito,Satoru
[スキーマ建築計画]
長坂常 Nagasaka, Jo
[中村竜治建築設計事務所]
中村竜治 Nakamura, Ryuji
[永山祐子建築設計]
永山祐子 Nagayama, Yuko
[成瀬・猪熊建築設計事務所]
猪熊純 Inokuma Jun、成瀬友梨 Naruse, Yuri
[松岡聡田村裕希]
松岡聡 Matsuoka, Satoshi、田村裕希 Tamura Yuki
[メジロスタジオ]
馬場兼伸 Baba, Kanenobu、黒川泰孝 Kurokawa, Yasutaka
[ユニティデザイン]
雨宮知彦 Amemiya, Tomohiko
合わせて、4月17日に東京で行われるプレイベントにもゲストとして参加します。
詳細はこちら。
ぜひお越し下さい。
日時:2010年4月17日(土曜日)
OPEN:18:30
START:19:00
会場:HAPPA
東京都目黒区上目黒2−30−6
TICKET INFO(先着50名様)
一般 ¥2,000
学生 ¥1,000(当日受付にて学生証のご提示をお願いします)
+ 1 Drink
チケット予約受付係 arakisasaki@mbe.nifty.com
一般/学生を明記の上、お名前、ご連絡先をお送りください。
予約受付完了メールを返信致します。
出演:Hiroshima 2020 Design Charrette実行委員
佐々木高之[建築家 アラキ+ササキアーキテクツ]
小川文象[建築家 FUTURE STUDIO]
木原一郎[アーバニスト full stage]
門脇耕三[首都大学東京助教]
加藤孝司[デザインジャーナリスト FORM_Story of design]
ゲスト:Hiroshima 2020 Design Charrette提案予定者
[アラキ+ササキアーキテクツ]
荒木源希 Araki, Motoki、 佐々木珠穂 Sasaki, Tamaho
[伊藤暁建築設計事務所]
伊藤 暁 Ito,Satoru
[スキーマ建築計画]
長坂常 Nagasaka, Jo
[中村竜治建築設計事務所]
中村竜治 Nakamura, Ryuji
[永山祐子建築設計]
永山祐子 Nagayama, Yuko
[成瀬・猪熊建築設計事務所]
猪熊純 Inokuma Jun、成瀬友梨 Naruse, Yuri
[松岡聡田村裕希]
松岡聡 Matsuoka, Satoshi、田村裕希 Tamura Yuki
[メジロスタジオ]
馬場兼伸 Baba, Kanenobu、黒川泰孝 Kurokawa, Yasutaka
[ユニティデザイン]
雨宮知彦 Amemiya, Tomohiko
20100406
HPリニューアル完了!
事務所のホームページをリニューアルしました。
デザインは橋詰宗くん。すばらしいです。
たまには発注者になるというのも良いものだ。
彼はあんまり発注者の要望をマジメに聞かないデザイナーだったけど(いや、もちろん良い意味で。笑)、任せることで未知の領域に連れて行ってくれることを実感させてくれました。
ありがとう!!
伊藤暁建築設計事務所
デザインは橋詰宗くん。すばらしいです。
たまには発注者になるというのも良いものだ。
彼はあんまり発注者の要望をマジメに聞かないデザイナーだったけど(いや、もちろん良い意味で。笑)、任せることで未知の領域に連れて行ってくれることを実感させてくれました。
ありがとう!!
伊藤暁建築設計事務所
20100308
20100208
Live Round About Journal
2月6日、藤村龍至率いる「TEAM ROUNDABOUT」主催のLive Round about Journal「メタボリズム2.0」へ。これが、とても面白かったわけであります。
プレゼンテーターの講演+全体討議+ライブ編集+フリーペーパー発行というフォーマットも三年目で、今年のプレゼンテーターは以下の方々。
・連勇太郎
・酒井康史
・李明喜
・岡瑞起
・池上高志
・藤本壮介
・磯崎新
コメンテーターは東浩紀、倉方俊輔、南後由和、黒瀬陽平、橋本純という面々。
モデレータは濱野智史(遅刻)、藤村龍至。
各プレゼンテーターの内容などについては各所にアップされているのでここでは割愛、ということで、ここでは(濱野氏遅刻の次に)最も印象的だった全体討議の中での「藤村龍至吊るし上げ事件」について思ったことを書きたいと思う。
ことの発端は磯崎氏による「この場には『何が良い建築で何が悪い建築なのか、何がいい環境で何が悪い環境なのか』についての議論がない」との指摘だった。
まず、とにかく残念だったのは、藤村氏を中心とする議論に対して差し出されたであろうこの指摘に対して、藤村氏が自ら回答せず、マイクを李氏や黒瀬氏に委ねてしまったことだ。これは良くない。
磯崎氏による指摘は、非常に的を射ている。藤村氏のマニフェストが一定の合意を得ながらも常に批判的に取扱われてしまうのも、この問題に起因する。「批判的工学主義」「超線形プロセス論」といった彼の理論はあくまで方法論であって、それをどうやって結果に繋げていくのかについては答えが提示されていない。それどころか、藤村自身が「形はどうでもいい」などと発言してしまうものだから、余計に誤解を招いてしまう。
当然のことながら、良い/悪いの判断基準が形のみに依存するわけではない。それに、藤村氏だって形には注意を払っているだろうし、興味もあると思う(無いなら建築家をやめるべきだ)。
ただ、形云々についてナイーブに議論しているだけでは建築家はどんどん社会から乖離してしまう、という問題提起をしたいだけなのだ。
ここまでは良い。だが、建築家として仕事をする以上、最終的には出来上がる「もの」に責任を持たなければいけないし、何が良くて、何が悪いと思っているのか、という問題にはきちんと意思表明をすべきだろう。
だから、磯崎氏の問題提起に対して、自身の言葉で返答しなかったのには失望した。アホかと思った。
この煮え切らない態度に苛立った会場からは、「藤村はビジョンを示せ」「未来への視点を提示せよ」といった非難が噴出するという展開に。自ら回答を拒否した結果であり自業自得だが、一方でこれはちょっと酷だったように思う。
そもそも、物語亡きこの時代に大きなビジョンを描くことは不可能に近い。「今の意志」という大きなマスは存在しない。ビジョンはローカルにしか提示できないし、そのレベルで満足していてはコンテクストとの戯れでしかなく、「社会」や「都市」を語る言説にはなり得ない。
ただ、やっぱりビジョンがなければ、人を動かし、前に進んでいくことは難しい。どこに行くのかわからない列車に乗りたい人はいないだろう。だから物語(ビジョン)亡き時代にいかにものを作るかが問われているのであり、その時に大事なのがシステムであり、プロセスであり、アルゴリスム(的思考)なのだ。藤村氏は「コンテクストに沿った建物を作りたい」と言っていたが、コンテクストに依存するのではなく、いかにコンテクストから「良い建築」「良い環境」を導きだすか、こそが重要だろう。
ビジョンはローカルでも構わない。というかむしろローカルなビジョンこそが求められている。だから、ビジョンは「結果」で良いのだと思う。ただ、放棄してはいけない。
「ローカルなビジョンを構築するために必要なものは何か」という問いに対して、コンテクストから結果を導きだし、多様な要素を読込みながら計画をまとめあげていく「批判的工学主義」や「超線形プロセス論」が一つの答えの手掛かりにはなっていると思う。一義的なビジョンをかざすのではなく、多義的に計画を生成していくための議論こそが社会や都市を語っていく上で重要だと思うし、藤村氏にはその可能性について語ってほしかった。
まあ、藤村批判が噴出していた会場でも、ビジョンを描くことの困難さにはみんな承知の上だったろうとも思う。だからこそ、「汚名をかぶってでも未来を語りたい」と言い切った東浩紀氏の言葉は、とても力強く心に響いたのだった。
あの心意気溢れる発言は、藤村氏に向けてというよりもあの会場にいた建築関係者全員に向けられたものだったように思う。
プレゼンテーターの講演+全体討議+ライブ編集+フリーペーパー発行というフォーマットも三年目で、今年のプレゼンテーターは以下の方々。
・連勇太郎
・酒井康史
・李明喜
・岡瑞起
・池上高志
・藤本壮介
・磯崎新
コメンテーターは東浩紀、倉方俊輔、南後由和、黒瀬陽平、橋本純という面々。
モデレータは濱野智史(遅刻)、藤村龍至。
各プレゼンテーターの内容などについては各所にアップされているのでここでは割愛、ということで、ここでは(濱野氏遅刻の次に)最も印象的だった全体討議の中での「藤村龍至吊るし上げ事件」について思ったことを書きたいと思う。
ことの発端は磯崎氏による「この場には『何が良い建築で何が悪い建築なのか、何がいい環境で何が悪い環境なのか』についての議論がない」との指摘だった。
まず、とにかく残念だったのは、藤村氏を中心とする議論に対して差し出されたであろうこの指摘に対して、藤村氏が自ら回答せず、マイクを李氏や黒瀬氏に委ねてしまったことだ。これは良くない。
磯崎氏による指摘は、非常に的を射ている。藤村氏のマニフェストが一定の合意を得ながらも常に批判的に取扱われてしまうのも、この問題に起因する。「批判的工学主義」「超線形プロセス論」といった彼の理論はあくまで方法論であって、それをどうやって結果に繋げていくのかについては答えが提示されていない。それどころか、藤村自身が「形はどうでもいい」などと発言してしまうものだから、余計に誤解を招いてしまう。
当然のことながら、良い/悪いの判断基準が形のみに依存するわけではない。それに、藤村氏だって形には注意を払っているだろうし、興味もあると思う(無いなら建築家をやめるべきだ)。
ただ、形云々についてナイーブに議論しているだけでは建築家はどんどん社会から乖離してしまう、という問題提起をしたいだけなのだ。
ここまでは良い。だが、建築家として仕事をする以上、最終的には出来上がる「もの」に責任を持たなければいけないし、何が良くて、何が悪いと思っているのか、という問題にはきちんと意思表明をすべきだろう。
だから、磯崎氏の問題提起に対して、自身の言葉で返答しなかったのには失望した。アホかと思った。
この煮え切らない態度に苛立った会場からは、「藤村はビジョンを示せ」「未来への視点を提示せよ」といった非難が噴出するという展開に。自ら回答を拒否した結果であり自業自得だが、一方でこれはちょっと酷だったように思う。
そもそも、物語亡きこの時代に大きなビジョンを描くことは不可能に近い。「今の意志」という大きなマスは存在しない。ビジョンはローカルにしか提示できないし、そのレベルで満足していてはコンテクストとの戯れでしかなく、「社会」や「都市」を語る言説にはなり得ない。
ただ、やっぱりビジョンがなければ、人を動かし、前に進んでいくことは難しい。どこに行くのかわからない列車に乗りたい人はいないだろう。だから物語(ビジョン)亡き時代にいかにものを作るかが問われているのであり、その時に大事なのがシステムであり、プロセスであり、アルゴリスム(的思考)なのだ。藤村氏は「コンテクストに沿った建物を作りたい」と言っていたが、コンテクストに依存するのではなく、いかにコンテクストから「良い建築」「良い環境」を導きだすか、こそが重要だろう。
ビジョンはローカルでも構わない。というかむしろローカルなビジョンこそが求められている。だから、ビジョンは「結果」で良いのだと思う。ただ、放棄してはいけない。
「ローカルなビジョンを構築するために必要なものは何か」という問いに対して、コンテクストから結果を導きだし、多様な要素を読込みながら計画をまとめあげていく「批判的工学主義」や「超線形プロセス論」が一つの答えの手掛かりにはなっていると思う。一義的なビジョンをかざすのではなく、多義的に計画を生成していくための議論こそが社会や都市を語っていく上で重要だと思うし、藤村氏にはその可能性について語ってほしかった。
まあ、藤村批判が噴出していた会場でも、ビジョンを描くことの困難さにはみんな承知の上だったろうとも思う。だからこそ、「汚名をかぶってでも未来を語りたい」と言い切った東浩紀氏の言葉は、とても力強く心に響いたのだった。
あの心意気溢れる発言は、藤村氏に向けてというよりもあの会場にいた建築関係者全員に向けられたものだったように思う。
20100106
熊野に行ってきた
年始早々昨年の話になってしまうが、師走の平日ど真ん中に熊野詣でを敢行するという暴挙を成し遂げてきた。
「宿泊費はほとんどかからないから」という友人からの誘いがきっかけだったのだが、彼がいいかげんだったこともあり、一体熊野で何が待ち受けているのかさっぱりわからないまま向かうことに。先に熊野入りしていた彼のナビゲーションによってたどり着いたところは、古座川ということころ。紀伊半島の最南端、潮岬からほど近い小さな町。友人達は、この町にある短期滞在施設として貸し出されている一軒家を拠点としていた。僕は3日間だけの滞在だったが、借り主だったnariwaiの伊藤さんは一ヶ月の滞在だとか。
古座川町は、面積でいうと75%以上が限界集落らしい。こういった集落は、日本中に散在している。町を支えていた産業は廃れて仕事が減り、人口も減り、農地は遊休地となっていく田舎の集落。高齢化が進んでこのままでは集落が無くなってしまうかもしれない。
こういうところに何が出来るかという問題に取り組むのはとても難しい。所謂「戦略」を立てようとしても上手くいかないからだ。
根本的な解決への道は果てしなく遠いし、残酷かもしれないが、そもそも解決が必要かという問い自体にYESと答える人がどれだけいるだろうか。日本のどこかで集落が消えてなくなる、それで何が困るのかという問いに対する明確な答えは無いのかもしれない。
ただ、僕としてはそんな世界にはなってほしくないと強く思うのである。
東京を中心とした経済の動きに乗れなければ存在する意義がないと烙印を押されてしまうような社会にはなってほしくない。というか、そもそも資本主義というのは有象無象の多様性を担保できる仕組みのはずだった。ところが資本主義が市場原理主義と曲解され、金融が幅を利かせ始めた頃から市場と相性の悪いものは淘汰されても問題ナシ!という事態に陥ってしまっている。これでは面白くない。
話が飛んでしまったが、古座川。
ここには、いろいろと面白い動きが出始めている。僕がお世話になった短期滞在住宅もその一つ。古座川を体験してもらい、興味を持ってもらって、町への移住者、定住者を増やそうという試み。
また、こんな施策も始まっている。地域づくり活動の企画運営スタッフ募集。
僕が古座川に滞在している時にはここで行われている「ハナアミ」の体験もさせてもらった。近所に生えている花を摘んできて、アレンジメントを作るというもの。これは、とても素晴らしかった。生活を豊かにする資源は身近にあるということを再認識させてくれる出来事。なにより、アレンジメントを作っているおばさま達がとても楽しそうだったのが印象的だった。まだテスト段階だが、全国に向けて販売可能な仕組み作りも模索されているとのこと。
どれも小さな試みだが、行政レベルや住民レベル、さまざまな位相で動きが出始めている。
立ちはだかる大きな問題に萎縮していてはなにも始まらない。戦略は無くとも、出来ることから、小さなことから始めるしかないのだ。
実は、この「始める」というのが最も難しいのかもしれない。ここがクリアできれば、可能性はぐっと広がるはずだ。
古座川の人々は、動き始めている。応援したい。
「宿泊費はほとんどかからないから」という友人からの誘いがきっかけだったのだが、彼がいいかげんだったこともあり、一体熊野で何が待ち受けているのかさっぱりわからないまま向かうことに。先に熊野入りしていた彼のナビゲーションによってたどり着いたところは、古座川ということころ。紀伊半島の最南端、潮岬からほど近い小さな町。友人達は、この町にある短期滞在施設として貸し出されている一軒家を拠点としていた。僕は3日間だけの滞在だったが、借り主だったnariwaiの伊藤さんは一ヶ月の滞在だとか。
古座川町は、面積でいうと75%以上が限界集落らしい。こういった集落は、日本中に散在している。町を支えていた産業は廃れて仕事が減り、人口も減り、農地は遊休地となっていく田舎の集落。高齢化が進んでこのままでは集落が無くなってしまうかもしれない。
こういうところに何が出来るかという問題に取り組むのはとても難しい。所謂「戦略」を立てようとしても上手くいかないからだ。
根本的な解決への道は果てしなく遠いし、残酷かもしれないが、そもそも解決が必要かという問い自体にYESと答える人がどれだけいるだろうか。日本のどこかで集落が消えてなくなる、それで何が困るのかという問いに対する明確な答えは無いのかもしれない。
ただ、僕としてはそんな世界にはなってほしくないと強く思うのである。
東京を中心とした経済の動きに乗れなければ存在する意義がないと烙印を押されてしまうような社会にはなってほしくない。というか、そもそも資本主義というのは有象無象の多様性を担保できる仕組みのはずだった。ところが資本主義が市場原理主義と曲解され、金融が幅を利かせ始めた頃から市場と相性の悪いものは淘汰されても問題ナシ!という事態に陥ってしまっている。これでは面白くない。
話が飛んでしまったが、古座川。
ここには、いろいろと面白い動きが出始めている。僕がお世話になった短期滞在住宅もその一つ。古座川を体験してもらい、興味を持ってもらって、町への移住者、定住者を増やそうという試み。
また、こんな施策も始まっている。地域づくり活動の企画運営スタッフ募集。
僕が古座川に滞在している時にはここで行われている「ハナアミ」の体験もさせてもらった。近所に生えている花を摘んできて、アレンジメントを作るというもの。これは、とても素晴らしかった。生活を豊かにする資源は身近にあるということを再認識させてくれる出来事。なにより、アレンジメントを作っているおばさま達がとても楽しそうだったのが印象的だった。まだテスト段階だが、全国に向けて販売可能な仕組み作りも模索されているとのこと。
どれも小さな試みだが、行政レベルや住民レベル、さまざまな位相で動きが出始めている。
立ちはだかる大きな問題に萎縮していてはなにも始まらない。戦略は無くとも、出来ることから、小さなことから始めるしかないのだ。
実は、この「始める」というのが最も難しいのかもしれない。ここがクリアできれば、可能性はぐっと広がるはずだ。
古座川の人々は、動き始めている。応援したい。
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