20070630

10+1 No.47

10+1 No.47執筆

20070601

10+1

10+1という雑誌の「テクノロジーロマン」という連載企画に参加しています。
主に建築の中にある住宅設備(住設)に焦点を当て、技術の進歩と人間の生活について考察する、という企画です。
住設というのは、建築に付随するオマケ的要素だと考えられがちですが、オマケではなく主役としてスポットを当て、そこから建築を考えるというのは相当マニアックな企画です。
企画に参加した当初はどうなることかと心配でしたが、調べてみると最近の住設には信じられないほど高度なテクノロジーが織り込まれていて驚きます。とても面白い。
単なる技術論にとどまらず、どんどん話が広がっていきます。
今までは、過剰とも言えるほど様々な機能が搭載された住設やその機能を成り立たせている技術などを話題にしてきました。

しかし、次回のテーマは「家族」。これは難しい。
住設から住宅や家族、コミュニティについて考えるというのは、いくら住設を主役にすると言っても無茶な話です。
ところが、考えているうちに発見することもありました。
それは、コミュニティが、実は住設によって規定されている、という考え方がありえるかもしれない、ということです。
風呂、電話、テレビ…かつて、さまざまな「住設」は地域の共有財でした。
近所にお風呂を借りにいく、電話を借りにいく、みんなで集まってTVを見る・・・。どれも、一昔前であれば日常的に見られていた風景です。
これは、住設を共有していることがコミュニティ単位の基準となる、という側面があるということです。
「住設」とは公共財であり、設置されている空間には公共性が備わっていた。
ところが、経済成長、技術進歩によって住設がどんどん住宅の中、さらには個室の中に取り込まれていく。
共有財であった住設が、私財化されていくわけです。
「住設」の私財化は設置される空間の公共性も必要としなくなっていき、それに伴って、かつてそこにあったコミュニティが変質していくと考えることができます。
このように考えると、住設というのがコミュニティの形成にとても大きく関わっているような気がしてきます。
まさに主役。
今はフラッシュアイデアの状態ですが、ここから、さらに話を膨らませていけたら面白そうです。
まだまだどうなるかわかりませんが、楽しみです。乞うご期待。