20070720

貨幣論


岩井克人の「貨幣論」を読む。
経済は門外漢なので、議論の本質についてはあまりきちんと理解できていないと思いますが、ものの考え方とか、議論の展開の方法論としてはとても参考なります。
貨幣を「実態」と「形態」という深層と表層に分離してその本質を探ろうということですが、その論の是非はともかく、「共同体」という概念を持ち込んでいるのは面白い。
制度やシステムから論を導くよりも、より身体的かつ本能的な側面に注目したアプローチのように思います。
ただ、その結果として循環論法に頼ってしまうのはちょっと物足りないのですが。

というか、マルクスという人はかなり神がかっていたのではないかと。そして、経済界というのは未だにマルクスの亡霊に取り付かれているようです。マルクスを読込み、批判し、それを乗り越えようと様々な試みが行われているものの、常に基準としてのマルクスから逃れることはできない。
それは僕らが未だにコルビュジエという巨人にに捕われているのと同じようなものかもしれません。
しかし、そのような巨人がいるということは、財産です。

まあ、世の中の万事をメタレベルで支配しているのは経済、というのはなんとなく正しいような気がしているので、その片鱗に触れることができるのは単純に面白いです。

20070709

響彩陸離

日曜日、友人が出演するアートイベント「響彩陸離」@浅草アートスクエアへ。
このイベントは電子音響音楽ライブというパフォーマンスらしいのですが、こういうものを鑑賞するのは初めてなので、事前知識ゼロで会場に到着。
この友人が制作している音楽はいままでいくつか聴いたことがありましたが、今回のライブは予想を覆す内容でした。
そこにあったのは、心地い音の響きとか、美しい旋律とか、そういう表現をたのしむわけではなく、ただ単純に、そこに「音」注ぎ込まれていくのに身を任せることしかできないという状態でした。気を抜くと溺れてしまいそうな緊張感まで漂っています。
「音」とは何かを突きつけられるような体験。
パラジャーノフの映画を見ている感覚に近いかもしれません。
久々にびっくりした出来事でした。こういう体験は自分の中で咀嚼するのに時間がかかります。
電子音響音楽は、ちょっと事後的に調べてみたところ、とてもたくさんのコンテクストを背負ってそうな様子が垣間みれましたが、個人的にはあまり予備知識を入れずに純粋に音と戯れるような楽しみ方の方が合っているように思いました。

しかし会場の椅子、これが非常によろしくなかったです。
長時間の使用にはちょっと厳しい。当日は朝から予定がびっしりで疲れていたのもあるのかもしれませんが、後半は腰や肩が重くなってしまい、音に集中できませんでした。
椅子のせいではなく歳の問題でしょうか??