事務所の一階にある「5TANDA SONIC」で、危口統之主宰の劇団(?)「悪魔のしるし」による公演「注文の夥しい料理店」が開催されました。
題名からわかる通り、宮沢賢治の童話「注文の多い料理店」のパロディです。この童話をベースにしながら、カニバリズム的に暴走させたという問題作。
客席はS席とA席に分かれていて、S席では実際に人肉(を模した料理)を食べることが出来るという仕組み。料理は、Food Creationの諏訪さんでした。
危口氏の狂気と妄想が炸裂する、危険で魅力的な芝居。会場中に充満するおいしそうな料理の匂い(でも出されるのは人肉)…。
人食などというのは、なかなか日常的に身近にあるテーマではないので、来場者はなんだか秘密を共有するような魅惑にかられるのですが、一方で危口さんの芝居はそんな共有性を突き放すようにドライブしていきます。共有と非共有が交錯する、不思議な時間でした。
終演後、芝居関係者とおぼしきお客さんが危口さんと話しているのを聞いていたのですが、このやり取りがとても面白かった。
お客さん曰く「どういうつもりでこういう芝居をやってんですか?」
危口氏の回答「世の中にムリ、ムダ、ムラを出来るだけ増やそうと思って。」
煙に巻くような回答ですが、ここに危口氏の本質と矛盾を見たような気がします。危口氏のパフォーマンスの最大の魅力は何かというと、「状況を提示している」という一言に尽きると思っています。それは「芝居」という形式を用いているときもあるし、「講義」「搬入」「写生大会」等、様々な形に姿を変えるのですが、そこにあるのはメッセージやプロパガンダではなく、何らかの「状況」をポンと置く、ただそれだけというとてもドライな態度です。
メッセージを持たないので、そこには「機能」はありません。社会的にはなんの役にも立たない、ただの行為があるだけなのです。ゴミみたいなものです。
しかし、生きていればゴミは出る、そしてそれは確実に社会の中に存在しているということを危口さんのパフォーマンスは垣間見せてくれるのです。
ここで、危口氏はとても難しい問題に直面するはずです。芝居であれ講義であれ、「パフォーマンス」という形式を持つ以上、何か一つの形に着地させなければならない。そこに向かうというのは、クリエイションとして完成度を高めるという行為です。演じる者の最低限の責任とも言えるでしょう。
しかし、「完成度を高める」とはどういうことか。単純に考えると、それは社会的に正当性を獲得するための作業ということになります。
ムリ、ムダ、ムラという社会的に抹殺されるべきものに対して、社会的正当性を与えるというのはなんとも矛盾した、甚だ困難な作業となる。危口氏のパフォーマンスは今までいくつか見ていますが、完成度が上がれば上がるほど「危口さんっぽくない」というフラストレーションを感じていた原因が、このやりとりを聞いていてよくわかりました。
もちろん僕はこういうパフォーマンスの在り方はとても好きだし、危口氏には今後も鮮やかに活動して欲しいと思っています。
次に危口さんが見せてくれる状況とはどんなものなのか、とても楽しみ。
そしてさらに、彼がどんな「着地」の方法を発見していくのかも、とても興味のある問題になってきました。
20081215
S-House
S-Houseが、10+1のwebサイトで紹介されています。
「オープンハウス情報」のコーナー。
先日、MDRの荻原さんに撮影して頂きました。
カメラに映らないように注意していたつもりだったのですが、ルーバーの建具越しに僕の足が…。
「オープンハウス情報」のコーナー。
先日、MDRの荻原さんに撮影して頂きました。
カメラに映らないように注意していたつもりだったのですが、ルーバーの建具越しに僕の足が…。
20081208
裁判員制度
先日、NHKで裁判員制度に関する番組をやっていました。
「あなたは死刑を言い渡せますか」
タイトルからして、ものすごいことになっています。
実際、問題は結構深刻です。
番組では「模擬裁判」という形式で示されていましたが、「死刑」の判決、つまり人の生を終わらせるか否かという判断を一般の素人が求められるということは、想像以上に酷な体験です。さらに裁判員には「守秘義務」があり、裁判の内容を他言したり、誰かに相談したりということは許されないのだとか。これは辛いです。いくら犯罪の被告とはいえ、ある人物を死に至らしめたという体験を、一生、自分一人で抱え込んで生き続けなければならない。僕には出来そうにもありません。
しかも、裁判に際しては、普段のニュースでは目にすることの無い凄惨な証拠や資料にも目を通すことになるでしょう。スプラッター系が大の苦手の僕でなくても、堪え難い出来事ではないでしょうか。
誰が何のために作った法律か知りませんが、多くの人にとってかなりの苦痛を強いるのではないかと思ってしまいます。
そう。誰が何のために?
番組を通して見て、最も疑問が残ったのは「なぜこの制度が出来たのか」ということです。
いくら考えてもさっぱりわかりません。誰にどんな利益があるのか?
出演している法整備に関わった人や法曹たちは、皆、口を揃えて「裁判制度は今のままではいけない。市民感覚を判決に反映させなければならない」と言います。
しかし、「今のままではいけない」と言い出さなければならない人物とは誰か?
法曹関係者が自ら言い出すというのはあり得ない。誰からも何の批判も無いのに、自ら自己批判を行い、自己改革を断行するなどという人はまずいないわけです。
国民の声か?番組では、大半の国民が「この制度に参加したくない」と答えているというアンケート結果が示されていました。そもそも、「人がどう裁かれるかに口出しが出来ないなんておかしい」などと声高に主張する国民がそれほどたくさんいるというのも考えにくい。
政治家か?この法律によって何かしらの天下り先が確保されているわけでもなさそうです。どこかの地方や団体になんらかのメリットがあるのでしょうか?それも考えにくい。
では誰が?何のために?
正直なところ、どんな利益が目指されているのかさっぱりわからない。
これが、この制度の一番不気味なところです。
考えれば考える程、怖くなってきます。
それにしてもNHKは、番組の一部に生放送の討論を組み込んでいました。
すごいことだと思います。
「生の意見を包み隠さず伝える」という気迫が感じられます。
もちろん、出演者の人選に際してなんらかのバイアスがかかっていることは否めないのですが、それにしても「生放送」という一切編集の効かない手法を採用するとは。しかもNHKにはCMという逃げ場もないし。
実際、議論は白熱し、やや迷走の気配が漂う瞬間もありましたが、全体としてはとても意義のあるものだったと思います。
「番組のデザイン」としては、かなり大胆で、評価に値するものなのではないでしょうか。
「あなたは死刑を言い渡せますか」
タイトルからして、ものすごいことになっています。
実際、問題は結構深刻です。
番組では「模擬裁判」という形式で示されていましたが、「死刑」の判決、つまり人の生を終わらせるか否かという判断を一般の素人が求められるということは、想像以上に酷な体験です。さらに裁判員には「守秘義務」があり、裁判の内容を他言したり、誰かに相談したりということは許されないのだとか。これは辛いです。いくら犯罪の被告とはいえ、ある人物を死に至らしめたという体験を、一生、自分一人で抱え込んで生き続けなければならない。僕には出来そうにもありません。
しかも、裁判に際しては、普段のニュースでは目にすることの無い凄惨な証拠や資料にも目を通すことになるでしょう。スプラッター系が大の苦手の僕でなくても、堪え難い出来事ではないでしょうか。
誰が何のために作った法律か知りませんが、多くの人にとってかなりの苦痛を強いるのではないかと思ってしまいます。
そう。誰が何のために?
番組を通して見て、最も疑問が残ったのは「なぜこの制度が出来たのか」ということです。
いくら考えてもさっぱりわかりません。誰にどんな利益があるのか?
出演している法整備に関わった人や法曹たちは、皆、口を揃えて「裁判制度は今のままではいけない。市民感覚を判決に反映させなければならない」と言います。
しかし、「今のままではいけない」と言い出さなければならない人物とは誰か?
法曹関係者が自ら言い出すというのはあり得ない。誰からも何の批判も無いのに、自ら自己批判を行い、自己改革を断行するなどという人はまずいないわけです。
国民の声か?番組では、大半の国民が「この制度に参加したくない」と答えているというアンケート結果が示されていました。そもそも、「人がどう裁かれるかに口出しが出来ないなんておかしい」などと声高に主張する国民がそれほどたくさんいるというのも考えにくい。
政治家か?この法律によって何かしらの天下り先が確保されているわけでもなさそうです。どこかの地方や団体になんらかのメリットがあるのでしょうか?それも考えにくい。
では誰が?何のために?
正直なところ、どんな利益が目指されているのかさっぱりわからない。
これが、この制度の一番不気味なところです。
考えれば考える程、怖くなってきます。
それにしてもNHKは、番組の一部に生放送の討論を組み込んでいました。
すごいことだと思います。
「生の意見を包み隠さず伝える」という気迫が感じられます。
もちろん、出演者の人選に際してなんらかのバイアスがかかっていることは否めないのですが、それにしても「生放送」という一切編集の効かない手法を採用するとは。しかもNHKにはCMという逃げ場もないし。
実際、議論は白熱し、やや迷走の気配が漂う瞬間もありましたが、全体としてはとても意義のあるものだったと思います。
「番組のデザイン」としては、かなり大胆で、評価に値するものなのではないでしょうか。
20081113
20081101
20081020
ダイアローグは危険
いま、隈研吾の「レクチャー/ダイアローグ」を読んでいます。ダイアローグ、つまり対話であり、この本は隈氏と様々な識者との対談をまとめたものです。
対話という形式は、文章も平易でとても読みやすいのですが、どうも観念論的な内容になりがちで内容が頭に入って来ません。(言葉は悪いですが)隈氏の言説はただでさえ一歩間違えると簡単に騙されるというか、根拠無く納得させられてしまうような仕組みになっていて、いつも困惑させられるのですが、ダイアローグと言う形式で語る隈氏はさらに危険です。
摩擦がほとんど無く、いくら掴もうとしてもするりと抜け落ちてしまうような感じ。トゲトゲしているよりつるつるの方が一見やさしそうで安心しますが、これには気をつけないといけません。
20080922
磯崎新の「都庁」
「磯崎新の『都庁』」を読了。
平松剛の著作は初めてでしたが、なんてわかりやすい文章を書くのだろうと感心。
先日「建築設計お仕事ガイド」のトークショーをやった際に、「建築の言葉はなぜこんなに難しくなったのか?」という話題がでたのですが、諸悪の根源として名前が挙がったのが磯崎氏でした。彼が若くして万博などの政治的イベントに巻き込まれ、様々な力学の渦の中に建築が飲み込まれそうになっているのを目の当たりにした時、なんとかそれを食い止めるために言葉の力に頼らざるを得なくなったと。
この時代に踏ん張った磯崎氏の、時代と格闘する苦悩は様々な彼の著作からも伺い知ることができます。
そんな「難しい建築」の代名詞とも言うべき彼の仕事を、こんなに簡単に記述できてしまう平松氏はタダモノではない。
僕も、普段自分の仕事を説明する際に使っている言葉について考えさせられる一冊でした。
20080901
20080712
フリータイム
巷で話題のチェルフィッチュという劇団があります。すごい評判で、演劇の話になると名前が出ないことはない、という勢い。いろんな賞も総ナメです。
こういうのは押さえておきたいと思うのですが、なかなかタイミングが合わず、まだ公演を見たことはありません。
と、そんな矢先、家に帰ってテレビをつけたら彼らの「フリータイム」という公演をやっていました。これはラッキー。その評判たるや、いかなるものかと。どんな面白い芝居なのかと。期待に胸を膨らませて鑑賞したのですが。
ひどくつまらなかった。というか、イライラしました。
普通ならそこでテレビを消すのですが、公演放映の後、主宰の岡田利規氏と大江健三郎氏の対談があるとのことで、ムカついたあまり、「どんなこと考えてこんな芝居作るのか聞いてやろうじゃねえか」と意気込んでしまい、それも見ることに。
その対談を聞いてみると・・・。これが非常に面白かったわけです。
「演劇」という形式に対する新しい試みがあり、「役者とは」「台詞とは」「身体とは」「舞台とは」といった問題に対する鋭い批評性が感じられます。「台詞と身体を同等に扱う」という発言など、シビレてしまいます。
しかし、その対談に興奮してもなお、チェルフィッチュの公演自体が面白いとは思えないだろうな、というのが素直な感想。
つまり、コンセプトは最高に面白いけど、その結果が魅力的ではないわけです。
これは、自分にとってもとても重大な問題です。
建築家に限らず、あらゆるクリエイションに関わる人たちは、今の自分を取り巻いている状況を疑い、固定化した形式に捕われず、新しい提案を行っていくという責務があります。その過程には様々な思考があり、コンセプトがあり、その結果として戯曲が出来たり、建物が立ったりするわけです。
一方で、新しさを求めるあまり、単に突飛なものや、奇天烈なものが登場してしまうことも無いわけではない。あるいは、コンセプトは完璧だけど形が格好悪い、という事態もママあるわけで。
結果として提示するかたちが魅力的でないと、その提案は説得力を持たないのです。
「新しさに惑わされずに、それがもたらす真の価値を見定めなければならない」と強く思いました。
余談ですが、「チェルフィッチュの芝居を撮影した写真を見る」というのが、今のところ僕にとって彼らの芝居を楽しむ一番の方法であることは、書き記しておこうと思います。
こういうのは押さえておきたいと思うのですが、なかなかタイミングが合わず、まだ公演を見たことはありません。
と、そんな矢先、家に帰ってテレビをつけたら彼らの「フリータイム」という公演をやっていました。これはラッキー。その評判たるや、いかなるものかと。どんな面白い芝居なのかと。期待に胸を膨らませて鑑賞したのですが。
ひどくつまらなかった。というか、イライラしました。
普通ならそこでテレビを消すのですが、公演放映の後、主宰の岡田利規氏と大江健三郎氏の対談があるとのことで、ムカついたあまり、「どんなこと考えてこんな芝居作るのか聞いてやろうじゃねえか」と意気込んでしまい、それも見ることに。
その対談を聞いてみると・・・。これが非常に面白かったわけです。
「演劇」という形式に対する新しい試みがあり、「役者とは」「台詞とは」「身体とは」「舞台とは」といった問題に対する鋭い批評性が感じられます。「台詞と身体を同等に扱う」という発言など、シビレてしまいます。
しかし、その対談に興奮してもなお、チェルフィッチュの公演自体が面白いとは思えないだろうな、というのが素直な感想。
つまり、コンセプトは最高に面白いけど、その結果が魅力的ではないわけです。
これは、自分にとってもとても重大な問題です。
建築家に限らず、あらゆるクリエイションに関わる人たちは、今の自分を取り巻いている状況を疑い、固定化した形式に捕われず、新しい提案を行っていくという責務があります。その過程には様々な思考があり、コンセプトがあり、その結果として戯曲が出来たり、建物が立ったりするわけです。
一方で、新しさを求めるあまり、単に突飛なものや、奇天烈なものが登場してしまうことも無いわけではない。あるいは、コンセプトは完璧だけど形が格好悪い、という事態もママあるわけで。
結果として提示するかたちが魅力的でないと、その提案は説得力を持たないのです。
「新しさに惑わされずに、それがもたらす真の価値を見定めなければならない」と強く思いました。
余談ですが、「チェルフィッチュの芝居を撮影した写真を見る」というのが、今のところ僕にとって彼らの芝居を楽しむ一番の方法であることは、書き記しておこうと思います。
20080701
告知
今週末行われる「建築設計お仕事ガイド」の出版記念トークショーで司会をやることになりました。
皆様、ご多忙の事とは思いますが、足をお運び頂ければ幸いです。
以下イベント概要です。
/////////////////////////////
「建築設計お仕事ガイド」出版記念トークショー
・日時:7月4日(金)19時半~
・会場:5TANDA SONIC
・入場料:1,000円(学生500円)
・出演者:馬場正尊(openA代表)
× 松本理寿輝(フィルカンパニー副社長)
× 藤原徹平(隈研吾建築都市設計事務所)
・司会:伊藤暁(MS4D)
・プロデュース:倉島陽一(A.C.O.代表)
・協力:エクスナレッジ
19:30~ 開場
20:00~ 自己紹介+トークショー
22:00~ 質問コーナー+サロンタイム
23:00~ お開き
/////////////////////////////
皆様、ご多忙の事とは思いますが、足をお運び頂ければ幸いです。
以下イベント概要です。
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「建築設計お仕事ガイド」出版記念トークショー
・日時:7月4日(金)19時半~
・会場:5TANDA SONIC
・入場料:1,000円(学生500円)
・出演者:馬場正尊(openA代表)
× 松本理寿輝(フィルカンパニー副社長)
× 藤原徹平(隈研吾建築都市設計事務所)
・司会:伊藤暁(MS4D)
・プロデュース:倉島陽一(A.C.O.代表)
・協力:エクスナレッジ
19:30~ 開場
20:00~ 自己紹介+トークショー
22:00~ 質問コーナー+サロンタイム
23:00~ お開き
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20080609
高橋匡太
友人に誘われて、久しぶりに高橋匡太さんのライブパフォーマンスに行ってきました。
高橋匡太さんは、最近では十和田市現代美術館の常設ライトアップ等を手がけている、光を扱うアーティストです。
初めて観た彼のパフォーマンスは2006年にタマダアートプロジェクトで行われた「flo+out」でした。そこで目にしたのは「幻影巻取機」なる不思議な道具。回転する「ろくろ」にDVを取付けて、その上に色砂や液体を落としながら撮影し、ライブで編集して映像を作る、というものでした。原理はかなりアナログですが、微妙にタイムラグを付けたり、ディレイ気味に映像を投影するなど、PCならではの手法も盛り込まれています。
その頃は様々な映像クリエーターやVJがいて、PCを駆使したすごい作品が世の中に溢れていたのですが、その中でアナログな映像作品がとても衝撃的で、技術に踊らされていない、とても新鮮なものを見せてもらったパフォーマンスでした。
あれから2年。久々に見る高橋さんのパフォーマンスは、ますますパワーアップしていましたが、今回はLEDを用いた道具がメインで正直ちょっと残念なところもありました。
つくり出される光や映像はとても面白かったのですが、どうしても予定調和的な雰囲気が拭いきれず、やや消化不良気味。
いま、日本人のアーティストは皆「村上隆の呪い」に取り憑かれているように思います。つまり、アート作品には「コンセプト」が最も重要で、単純に「絵がうまい」とか「細かい描写ができる」とか、いわゆる人間の手技による成果は意味を持たない、という問題提起です。
この宣告があまりに強烈だったため、アーティストたちは皆「手技」に頼ることが悪であるように思いこむという呪いにかかってしまった。
これはある意味、的を射た指摘だと思います。でも門外漢としては、必ずしも人間の手技が価値を持たないわけではないと思うし、「手技」による表現自体がコンセプトとなるような作品も存在しうるとも思います。
この問題を考えると、いつも20世紀初頭に建築の世界で起った「工業か手工芸か」という問題を思い出さずにはいられません。
新たに登場した工業というものの作り方に対して、人間の手作業は意味を持つのかと言う問題です。結局工業が勝利したのは周知のとおりです。
しかし、技術はただ「使えば良い」ものではなく、いかに使うかということこそが問題のはず。
高橋さんの2006年のパフォーマンスは、その問題にとても鮮やかな答えを提示しているように感じました。
今回のパフォーマンスは、前回と比べると技術に対する鋭い批評性という点に於いて、やや物足りなさが残るものでした。
もちろん、それが重要なのかどうかも含めて、一考の余地があるのはいうまでもありませんが。
高橋匡太さんは、最近では十和田市現代美術館の常設ライトアップ等を手がけている、光を扱うアーティストです。
初めて観た彼のパフォーマンスは2006年にタマダアートプロジェクトで行われた「flo+out」でした。そこで目にしたのは「幻影巻取機」なる不思議な道具。回転する「ろくろ」にDVを取付けて、その上に色砂や液体を落としながら撮影し、ライブで編集して映像を作る、というものでした。原理はかなりアナログですが、微妙にタイムラグを付けたり、ディレイ気味に映像を投影するなど、PCならではの手法も盛り込まれています。
その頃は様々な映像クリエーターやVJがいて、PCを駆使したすごい作品が世の中に溢れていたのですが、その中でアナログな映像作品がとても衝撃的で、技術に踊らされていない、とても新鮮なものを見せてもらったパフォーマンスでした。
あれから2年。久々に見る高橋さんのパフォーマンスは、ますますパワーアップしていましたが、今回はLEDを用いた道具がメインで正直ちょっと残念なところもありました。
つくり出される光や映像はとても面白かったのですが、どうしても予定調和的な雰囲気が拭いきれず、やや消化不良気味。
いま、日本人のアーティストは皆「村上隆の呪い」に取り憑かれているように思います。つまり、アート作品には「コンセプト」が最も重要で、単純に「絵がうまい」とか「細かい描写ができる」とか、いわゆる人間の手技による成果は意味を持たない、という問題提起です。
この宣告があまりに強烈だったため、アーティストたちは皆「手技」に頼ることが悪であるように思いこむという呪いにかかってしまった。
これはある意味、的を射た指摘だと思います。でも門外漢としては、必ずしも人間の手技が価値を持たないわけではないと思うし、「手技」による表現自体がコンセプトとなるような作品も存在しうるとも思います。
この問題を考えると、いつも20世紀初頭に建築の世界で起った「工業か手工芸か」という問題を思い出さずにはいられません。
新たに登場した工業というものの作り方に対して、人間の手作業は意味を持つのかと言う問題です。結局工業が勝利したのは周知のとおりです。
しかし、技術はただ「使えば良い」ものではなく、いかに使うかということこそが問題のはず。
高橋さんの2006年のパフォーマンスは、その問題にとても鮮やかな答えを提示しているように感じました。
今回のパフォーマンスは、前回と比べると技術に対する鋭い批評性という点に於いて、やや物足りなさが残るものでした。
もちろん、それが重要なのかどうかも含めて、一考の余地があるのはいうまでもありませんが。
20080603
柴田鑑三展
月曜日、現場帰りにINAXギャラリーで開催されている「柴田鑑三展」のギャラリートークへ。
柴田氏はスタイロフォームを使いこなす彫刻家で、ワタリウム美術館クマグスの森展の際にはいろいろアドバイスを頂きました。
久々の再開。
スタイロは建築の断熱材として使われるもので、建築模型などでも活躍することが多いので馴染み深い材料だったのですが、まさかあんなかたちに姿を変えることが出来る物質だったとは、という作品でした。
柴田氏はトークの中で「『線』に興味がある」と言っていましたが、そこには極めて艶かしく、力強く、ふくよかな「線」がありました。言葉で「線」と言ってしまうと単なる二次元の物体ですが、そこに注目することで、厚みを見いだし、中に潜む豊かな世界を発見できるのだということを鮮やかに見せてくれるような作品です。しかもとても美しい。
6月26日まで。
20080526
愛するなら歴史を学べ
かなり久しぶりの更新となってしまいました。
土曜日に、危口統之氏主宰「悪魔のしるし」の第六回公演「メタル大学(前期課程)」に行ってきました。
なんというか、正確に説明するのは難しいのですが、いわゆるパフォーマンスです。危口氏が愛してやまないメタル音楽について講義が行われ、皆でメタルに対する造詣を深めようというもの・・・のはずが、氏のあまりに深いメタルへの愛が災いし、講義内容は膨大なものへ。なんとかメタル誕生までの歴史を語ったところで時間切れとなり講義終了。残りは後期課程に持ち越しとなりました。危口氏としても不本意な結果だったようです。
しかし、メタルの歴史を垣間みることができたのはとても示唆深い体験でした。
何事にも歴史あり。
僕も音楽は好きで、色々なジャンルに手を出していますが、気に入ったミュージシャンのルーツを辿ったりという興味はあっても、全体的な系譜や流れを整理したり、背景について学んだりということにはあまり興味が持てませんでした。耳に入ってくる音に対する刹那的な興奮が僕に十分な快楽を与えてくれたので、歴史のことを知りたいとまではなかなか思わなかったのかもしれません。あるいは、音楽は知識としてではなく、本能で楽しむべし、という思い込みがあったのも否定は出来ない。しかし、歴史的な分析はやはり面白い。
学生時代に建築の歴史を初めてまじめに勉強した時に、建築に対する視野が一気に広がってとても興奮したことを思い出します。
歴史を知ることの重要性を改めて知らしめられたイベントでした。
というわけで、僕も愛しているFUNK MUSICの歴史を紐解いてみようと、こんな本(画像)を買ってみたりしてしまったのです。
「ファンクとは、七色に輝くものである。びんびん感じるもの、そしてセクシーで甘美なフィーリングだ。」
冒頭からかなりのテンションです。最後までついていけるか・・・。まあ、ゆっくり読み進めてみようと思います。
ちなみに「悪魔のしるし」第4回公演は僕らの事務所の一階、5TANDA SONICにて行われました。その記録はこちらとかで。毎回かなり面白い内容です。次回が楽しみ。
興味のある方はこちらで。
20080302
20080126
20080115
Live Round About Journal
1月19日、26日に開催される「Live Round about journal」の26日に出演します。
最近の仕事を中心に短いレクチャーを行う予定です。
友人の藤村くんが主催。他にも大学の後輩でもある釜萢+針谷や、東工大の元気な学生チームg86、柄沢祐輔、平田晃久、中村拓志、吉村靖孝などなかなか豪華なラインナップ。
初めてお会いする方もいるので楽しみです。
ちなみに1月19日は大西+百田、伊庭野+藤井、武藤圭太朗、中央アーキ、長谷川豪、松川昌平、田中浩也、永山祐子、中山英之とこちらもそうそうたるメンツです。
Live Round about journal「愛と力の関係」
INAX GINZA 7Fクリエイティブスペース
定員:100名(申込不要・先着順)
入場:無料
ぜひお越し下さい。
最近の仕事を中心に短いレクチャーを行う予定です。
友人の藤村くんが主催。他にも大学の後輩でもある釜萢+針谷や、東工大の元気な学生チームg86、柄沢祐輔、平田晃久、中村拓志、吉村靖孝などなかなか豪華なラインナップ。
初めてお会いする方もいるので楽しみです。
ちなみに1月19日は大西+百田、伊庭野+藤井、武藤圭太朗、中央アーキ、長谷川豪、松川昌平、田中浩也、永山祐子、中山英之とこちらもそうそうたるメンツです。
Live Round about journal「愛と力の関係」
INAX GINZA 7Fクリエイティブスペース
定員:100名(申込不要・先着順)
入場:無料
ぜひお越し下さい。
20080111
20080103
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